「小さな博物館」ネット

「小さな博物館」ネットでは、下記の構想による事業を行ないます。
みなさまのご参加・ご協力を宜しくお願い致します。(ご意見・ご感想は、Facebookグループ「小さな博物館ネット」へ)





【小さな博物館グローバルネット構想】京都版

(1)「ガイドブックに出ていない博物館・科学館のガイドブック」を作成することを目指して、京都府下の小さな(個人)博物館をリスト・アップして内容を把握し、ガイドブックの作成を行なう。

(2)ガイドブックができれば、京都府を修学旅行で訪れる中学・高校の希望者に配布する手立てをとる。

(3)特に面白そうな博物館について「親子博物館ツアー」を企画し、京都市内や京都府下の小さな博物館巡りを開催する。アンケートをしてどんな博物館が求められているかを明らかにする。

(4)小さな博物館の交流会を毎年開催して、展示内容の紹介とともに行政への要望を集約する機会を作る。


全国版

(1)「ガイドブックに出ていない博物館・科学館ガイドブック」を作成することを目指して、インターネットを通じて小さな博物館のデータを収集する。その一覧表を作り、各博物館の行事予定などの情報を集約できる体制を整え、インターネット上にガイドブックを作成する。

(2)日本各地の特色ある小さな博物館の学芸員を招いて、活動内容やそのための工夫、現在抱えている問題点、このネットワークに期待することなどを交流する。毎年違った場所や特色の博物館を選ぶ。

(3)展示物の今後の保存方法などについて、インターネットアンケートによって各博物館の予定や要望を集約し、小さな博物館と大きな博物舘を結び付ける方策を提案する。








柿渋読本

2018/05/16 21:13 に KGI事務局 が投稿

1.山城地域の柿渋

①昔、南山城の柿渋は、広島県の備後柿渋、岐阜県の揖斐柿渋と並び、日本の三大柿渋産地の1つとして繁栄

②南山城で製造された柿渋は、木津川の舟運や鉄道などで大阪、京都、さらに全国各地に運ばれ、多種多様に利用

の柿渋小売店京都所蔵の「諸方渋買帳」に南山城の渋の買い入れが記載され、買い入れは大正時代まで続きいていた。

大正時代の柿渋仕入帳(山城郷土資料館提供写真)天王柿(三桝嘉七商店ホームページ)

③京阪奈丘陵地(学研都市)を中心とする木津川市、京田辺市、枚方市の東部、生駒市の北部、奈良市の北部では、古くから、渋味成分の多い「天王柿」の栽培が盛ん

④各集落で「シブヤ」と呼ばれる「柿渋」生産者が、近隣の農家から多くの原料柿を購入して搾汁。副業として良質の柿渋を多く生産

⑤三桝嘉七商店三桝武男会長が見習いを始めた頃(昭和25年頃)、20戸の「シブヤ」があり、「山城柿渋生産組合」を組織。現在、伝統を受け継ぎつつ、機械化して「柿渋」を生

産している工場は、木津川市、和束町、南山城村、宇治田原町の4ヶ所

2.江戸時代の柿渋

①柿は1200年前に中国から朝鮮半島経由で日本に伝わったと江戸の書物にでています。

②戦国時代が終わり、世情が安定した江戸時代に、柿渋の需要が増加した。家庭でもじんどう(隙間のある樽に潰した渋柿をいれ蓋をし、重さをかけ柿渋をとる)という道具を使い

自家製も作っていた。



じんどう、蓋(山城郷土史料館提供) 柿渋用組桶(三桝嘉七商店提供)    柿渋用漏斗(三桝嘉七商店提供)

③江戸時代に使われていたものに綿布、和紙、うちわ、和傘、箔打紙、友禅型紙、綿打紙、漁網、酒・醤油のしぼり袋、漆器等には、柿渋 を塗る・染めることに

よって数十倍に強度が増し、さらに防水、防腐、防虫効果を発揮するという点が利用されています。

衣装箱(竹かごの和紙を張り、柿渋を塗り、防虫、防腐をする)、一閑張り(竹かごに和紙をはり柿渋を塗布したもの)の丸かご、お茶を選別するみ

など生活用品として利用された。

渋団扇(山城郷土史料館提供)     渋団扇(三桝嘉七商店提供)        酒のしぼり袋(山城郷土史料館提供)  衣装箱(三桝嘉七商店提供)      み (三桝嘉七商店提供)

産業的には、箔打紙とは和紙に渋をぬり、金箔を伸ばすのに利用されていた。柿渋を何度も塗り固め友禅染の型紙としても利用されていた。



箔打紙(山城郷土史料館提供)   型紙の模型(三桝嘉七商店提供) 

そのほか漁網、海苔網(珪藻の防止に利用)、タコをつるタコ糸(柿渋を塗るころにより伸びるの防止しタコが壺に入った瞬間を把握する)などに利用された。

3.柿渋の衰退(プラスティック文化の隆盛)= 新規用途開発


①昭和25年頃から化学工業の発達により、化学繊維が普及し、日本古来の紙、木の文化ではなくなり、柿渋もそのあおりで全国に数十軒ほどあった業者の多く


が転廃業した。従来の用途でない新規な用途開発が必要となった。


②昭和40年代、酒類や調味液類の清澄度(透明度)の重視され、柿渋は清酒、みりん、醤油の清澄剤に利用された。しかし、当時の柿渋は、強い異臭があり、液


状で重く搬送に不便、安定した品質での保存が困難(搾汁した直後は淡色が熟成させると濃褐色化)という食品用途には課題があった。そのために柿渋独自の臭


いを発酵過程の改良し異臭を除いた。つぎに貯蔵熟成方法を改良し、淡色の柿渋を安定製造できるようにした。この柿渋を粉末化した製品は健康食品や化粧品の


原材料につかわれ、顆粒化したものは酒類や調味液の清澄剤に利用されている。


顆粒柿渋(三桝嘉七商店提供)   粉末柿渋(三桝嘉七商店提供)


③柿渋のもつ、清涼感という特徴を生かし、敷きパットやシーツ、クッションカバーなどの寝具、日笠、帽子などの新製品を開発した。寝具はいままでない肌に柔らかな風合いを持ち


夏季には冷涼感を発揮し、秋・冬には身体のぬくもりを包温、さらに強力な抗菌防臭効果がある。


4.原料柿の確保と特産 南山城の渋柿復活

①昭和60年代より、関西文化学術研究都市構想の大規模開発で、原料の天王柿の減少を予想し、新たな地域での天王柿の移植栽培に取組み、各地での試植調査


の結果、会津高田町にご理解とご協力を頂き、会津高田天王柿生産組合が結成され、平成元年には福島県全農と10haの天王柿契約栽培が締結し、平成5年に


は約3000本の定稙が完了しました。原発問題等で苦難な時期もあったが、良好な契約栽培が続いている。


②南山城柿渋の原料を地元で復活させるため、平成25年から、JA京都やましろと天王柿の増殖計画を策定し、平成26年より稙最を開始し、10haを目標

にしている。野獣対策や荒廃農地の再生など、地域農業振興にも寄与すると考えられる。三桝武男会長は自ら天王柿の種子を蒔き、苗木を育て、天王柿農園を育

てています。
渋柿を接ぎ木(リボン部分で親木と接ぎ)(三桝嘉七商店提供)渋柿の苗木を育成(三桝嘉七商店提供)

5.南山城の柿渋文化の継承

柿渋を次世代に継承するために、南山城地域に柿渋を研究していくことの必要から、故本杉日野京都府立大学教授をはじめ、松尾友明鹿児島大学名誉教授、井原

浩二NPOけいはんな薬膳研究所理事長・薬膳レストランあわさい社長等の熱意により、柿渋・カキタンニン研究会が発足した。地場産業の振興が期待さら、柿

渋業界まもとより、原料柿の栽培に関わている方々の非常に喜んでいる。柿渋の用途開発への期待と柿渋に象徴される新しい文明の期待できる。



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